馬鹿な女。そう呟いた私は、人通りの少ない閑静な住宅街から、早々に立ち去りたかった。血生臭い臭いは、私の香水をすぐに消し去ってしまうから。
きっかけは何だったか。そうだ、確かこの女は私のアントーニョに近寄ったんだった。アントーニョが家から出る時間帯を狙って、偶然を装って何度も彼の家の前で出会うように。それを知ったのはつい最近で、だから少し予定が狂ってしまったけれど。けれど結局彼に近付く者が一人減ったんだ。良しとしよう。
けれど彼女が言った言葉が、どうしても頭から離れず、思わず足を止めてしまった。いつもなら気にしないはずのそれは、どうしてか、今日はこびり付いている。
「…馬鹿じゃ、ないの」
それは女に対するものなのか。私に対するものなのか。手に握っている拳銃は、皮肉にも彼からもらったものだ。
随分と長居をしてしまった為か、銃口はすでに冷えていた。ガーターベルトに差し込んで、女の骸を一瞥して、すぐにその場から立ち去った。
日は翳っていて、すぐにも雨が振り出しそうだ。彼の住むこの国では、珍しい事に。
あの女を始末した場所からは、目と鼻の先だ。早くここから立ち去らなければ。大通りに通じる道まで出ようと、右に曲がった時だった。
「?」
ここのいないはずの彼の声が、すぐ後ろから聞こえた。
驚愕した私は、情けないほどの肩が上がったけれど、彼は――アントーニョは気にした様子もなく、やはりへにゃりと笑いかけた。
「やっぱりやん。どないしたん? こんな所で」
「え、ええ、ちょっと…」
「道にでも迷うたんか?」
そんな訳ない。何度ここに来た事か。
けれど私はぎこちなく首を縦に振って、返した。アントーニョは陽気に「しゃーないなー」と笑って。
パンッ―――
破裂音と、脇腹の熱さ。
一瞬何が起こったのか分からなくて、けれど理解した時には、私は撃たれた痛みに地面にのた打ち回った。
「っあああ!!!!」
「道に迷うたんなら、俺が正しい道まで案内したるで」
撃たれた場所が激しく脈を打っている。脂汗が流れ出るが、そんなものよりも。
「…ど、して…」
「どうして? 不思議な事聞くなあ。道に迷った人を案内するんは、当たり前の事やろ?」
こてん、と。本当に不思議そうに小首を傾げるのは、普段の彼で。だからだろう。この違和感は。
「…と…にょ……?」
「やって、人を殺す事は、間違ってるんやで、」
ああ、そうだ。彼は純粋だった。だからこそ、人を殺めるという「道を外れた」人を同じように遭わす、つまり「正しい道に案内」をしているだけだ。
だって、彼は――
「知っとった、。これも『国』の仕事なんやで」
パンッ――
銃声と彼の声を子守唄に、私は静かに眠った。
憐れな女、と彼女は言った
(結局私も)(馬鹿な女の一人だった―――)
Written 10.05.3
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