今はまだ、この距離で
取り敢えず。私は彼が大好き。彼が好きな人が私だという事も、とっくの昔に知っていた。
とは言うものの、ジェイド・カーティス大佐が教えてくれたのだけれど。
相思相愛。だけど私からは告白しない。もう少しこの距離でいたいの。
彼の気持ちを知っていながら、いつものように酒場で一緒に飲んでいる私は悪魔かしら?
ジェイドは笑って、もう既に悪魔ですよ。と言った。何と失礼な男でしょうね。
カラン、と手に持っていたジンが音を立てた。
「第一、貴族である貴方が何故このような場所に来ているのか。理解出来ませんね」
「本当に失礼な人ね。私だってお酒が恋しくなる時もあるのよ」
「お家でお一人、淋しく飲んでいればいいでしょう」
「家はつまらないもの。使用人やメイドしかいない、あんな場所で、なんて」
一気に飲み乾す。喉がヒリ、と焼けたような気がした。
大きく溜め息をついて、いい迷惑だと呟いたジェイドは、しかし私に付き合ってくれる。
こんな優しい一面を持っているのを知っているのは、私かジェイドの幼馴染らしいピオニー皇帝陛下だけだ。
「もう一杯追加しましょうか?」
「いいわ。もうこれで最後よ」
「おや?随分と早いですね。貴方ならもう三杯いけるでしょう」
「そうでもしないと彼が怒っちゃうのよ。そこも可愛いのだけれどね」
以前、宮殿の前で彼と数名のお友達とお酒の話をした時だった。
お友達の一人が彼を見つけて、無理矢理彼も話に参加させた。
彼は私を見るなり少し顔を赤くさせて、私も顔を赤くさせて、しばらく黙っていた。
お友達はそんな事もお構いなく話していて、ふと私に話をふった。
そして私が私生活で飲むお酒の量を話したら、意外に思ったのか、彼が言った。
『いくら何でも三杯までですよ。様はお体が弱いのですから』
形のいい眉をしかめて、家にあるお酒も飲んじゃいけないと言ったわ。
お友達は笑って彼に、言っても聞きませんわ、と言っていたけれど、私は黙って頷いた。
そうすると彼は安堵した顔をして、そろそろ仕事に戻るからと宮殿へ入られた。
確かに私はあまり体がいい方ではないけれど、お酒は平気なのよ。
それを聞いた義理の従兄は大爆笑して、思い切り頭にジンをかけた記憶がある。
今隣に座っているその従兄は、またこの話ですか、と苦笑して、言った。
「…本当にべた惚れですね」
煩いわよ。かのカーティス大佐でも、その綺麗なお顔に紅葉型を作るわよ。
彼はそれは困りますね〜、と笑って返した。
「そこまで好きなら、とっとと告白でもすればいいでしょう」
「まだよ。もう少ししてからそういう風に誘いかけるのよ」
「そういうところが悪魔なんですよ」
だって彼可愛いのよ?私が思わせぶりな言葉を言うと、顔を真っ赤にさせるの。
可愛くて可愛くて、ほんと、いじめたくなるわ。ジェイドもそうなんでしょう?
ジェイドは貴方ほどではありませんと笑った。
「しかし確かに彼はいじめがいがある」
「でしょう?でもいじめるのは私だけよ。いじめるなら他をあたって」
「でしょうね。まったく。我が侭な貴族様だ」
「我が侭とは心外ね。その日までずぅっと我慢しているのに」
「…確かに。ある意味我慢はしていますね」
苦笑した。あ、苦笑するとジェイドも案外かっこいいかもしれないわね。
けれど決して惹かない。心に決めた人は彼以外考えられないわ。
ふとジェイドが顔を上げた。
「どうやらその彼が来たみたいですよ」
私も顔を上げた。逆光でよく見えないけれど、入り口に立っているのは確かに彼。
彼は入り口で私を見つけると、早々と私の元まで来てくれた。
「様!」
彼が私の名前を呼んだ。否、叫んだ。
私は自分の口元に人差し指をあて、彼に向けて微笑んだ。
「フリングス少将。私がここにいるのがばれてしまうわ」
人が少なくて済んだのかもしれない。もしも聞こえていたなら、ややこしいから。
他の貴族から家がこのような場所に来ていると噂をされるわ。
「す、すみません。しかし何故貴方がこのような場所におられるのですか」
「だって家にいたっておもしろくないもの」
「だからって場所を考えてください」
ふと彼が私が飲んでいたグラスに目をやり、私にもう一度目を向けた。
それは咎めるものではなく、逆に労わるような目。
普段の私なら、そんな目が嫌いなはずなのに、何故か彼だけは許せる。
やはりこれも恋の力なのかしら?
「一体どれほど飲まれたのですか?」
「三杯よ。貴方がもう少し遅かったら四杯目を飲もうかと思っていたところよ」
「約束したでしょう。一体どれほど飲むおつもりだったのです」
「そうだけれど、飲みたい時は飲みたいの。家にあるお酒はもう飲んでしまったのだし。それにどうせ貴方が来てくれたもの。酔ったって貴方が送ってくれると信じているわ」
途端に彼は困った顔をして、私を頼らないでください。と言った。その困った顔も好き。
ゴホン、とわざとらしいジェイドの咳払いで、彼ははっとジェイドを見て、慌てた。
「も、申し訳御座いません。カーティス大佐」
「いいえ。どうぞお好きなだけお二人の世界に入ってください」
「と、とんでもない!そもそもお二人の世界って…」
「お二人の世界ではないですか。いやいや、お熱いですね〜」
顔を真っ赤にしてあたふたしだした彼を、私とジェイドはお互い顔を見合わせて笑った。
ね?可愛いでしょう?
「フリングス少将。少し酔ったみたいだわ。家までお送りしてもらえるかしら?」
本当は全く酔ってないのだけれど、彼の困った顔を見る為にそう言った。
酔っているなら、貴方に酔っているわ。けれどそれは今は言わない。
ちらりとジェイドを見ると、彼はくっくと笑っていた。本当に失礼な男。
彼は本当に困った顔をしてくれて、私の手を取った。
「全く。どうしようもない方だ」
そう思ってないくせに、そう言った。軍人らしい、男の人の手で、私の手を取って。
ジェイドに一礼して、私に微笑みかけてくれた。
私も微笑み、彼の手をしっかりと握って席を立った。
今はまだ、この距離で
Witten by Yukino Enka.
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