「兄様、無理してる」

そう言うと、隣にいた裕太は驚いた顔で私を見た。

「は?」
「また徹夜してデータ整理して…」
「…観月さんが?」

裕太は信じられないように驚いて、兄を見やった。
兄は全然気付いてないようで、赤澤部長に今日のメニューを報告している。
隣で「う〜ん」と唸る裕太を、今度は私が信じられなくて、訝しげに見上げた。

「判らないの?」
「…オレには普通に見えるけどな」

隈なんか作るわけないしな、と呟く彼に、私は大きく頷いて見せた。
当たり前だ。妹の私にさえ隙を見せない兄が、隈などを作るわけがない。
けれど私が見つけられるぐらいにまで、兄は疲れているのは事実だ。
それを裕太は判らないらしく、未だに兄を見てはうんうんと唸って探っていた。
いつまで私の兄を見続けるのだろうか。少しだけむっとする。

「…人をじろじろと見ないで頂きたいですね、裕太君」

ついにその視線に気付いた兄は、部長にメニューを押し付けると、裕太の元へやって来る。
げっと青褪める裕太を横目に、私は兄にドリンクを渡す。

「はい、兄様」
「、ああ。ありがとう、

急に差し出されたドリンクに驚いたのか、兄は少しだけ口を噤んだ。
けれどすぐに我に戻ったのか、逃げ出そうとしている裕太の襟首を素早く引っ掴んだ。
蛙が潰れた様な声がした。

「何を逃げ出そうとしているんです? 逃げた罰として校庭30周でもしてきなさい」
「は、はいぃっ!!」

ぱっと兄が手を離すと、裕太は転がる様に校庭へ走っていく。
少し裕太の気持ちが判った気がしたけれど、自業自得だと心の中で裕太に言っておく。
そうしてその場を離れようとする兄を見て、私は慌てて呼び止めた。

「兄様!」
「…?」

不思議そうに立ち止まり、振り返った兄に駆け寄り、下からきっと睨み付けてやる。
途端にぎょっと驚く兄などお構いなしに、言った。

「兄様、また徹夜しましたね?」
「…もしかして隈が出来ていますか?」

すぐに兄が認めるとは思ってもいなかったが、兄は徹夜した事を肯定した。
そう言って慌てて目元に手を当てる兄の様子に、私は少しだけ微笑んだ。

「いいえ。他の人には判らないらしいです」
「そうですか…」

安心した様にそっと溜息を零した兄。私はそれに、また下からきっと睨み付けた。
また兄は慌てた。

「え、…?」
「どうしてですか?」
「は?」
「どうして兄様は一人で無理をなさるのですか?」

徹夜するまで、データ整理は必要なのだろうか。いや、私だってそれが必要なのは判っている。
全国大会に向けて、兄が仲間達の為にデータを集めていた事は、私が一番よく判っている。
仲間達の指導の為、陰で兄が人一倍頑張っている事も、私が一番判っている。
けれどその為に、兄一人だけが無理をする必要はないだろう。

「もしこのまま兄様が無理をなさっていたら、いつか兄様は…」
「…倒れてしまう、と?」
「判っているのなら、どうして…っ!」

どうして無理をするんだ、と言おうとして、口を噤んだ。
兄が優しく私の頭を撫でてくれたからだ。

「大丈夫。僕は無理なんかしていませんよ」
「でもッ!」
「無理をして倒れると泣いてしまう妹がいるので、おいそれと出来ませんからね」
「…ぁ」

小学校の頃、一度兄が無理をして倒れた事があった。
ひどい高熱を出して寝込んだ兄を、私は死んでしまうと思って大泣きした覚えがある。
その事を言われて、私の頬が熱くなったのが感じられた。
それに、と兄は私の頭を撫でながら続ける。

「徹夜になりそうなら、に手伝ってもらっていますよ」

前に手伝ってもらった事もあったでしょう?と言われて、私は漸く思い出す。
確かにどこかの学校との練習試合の為に、兄のデータ整理を手伝った事があった。
なんだか随分と前のように感じていたのだが、思い出すとつい最近のようだ。
そうして兄の疲れの原因はデータ整理ではなさそうだと実感し、質問を変えてみた。

「じゃあ兄様。どうして徹夜したのですか?」
「……、」

少し言いにくそうに口を閉じ、けれど諦めたのか、大きな嘆息を吐いた後言った。



「…の誕生日プレゼントを考えていたら、夜が明けていたんですよ」



その意外な言葉に、思わず目を瞬いて兄を見上げてしまった。
彼は頬を赤く染めて、落ち着かないのかきょろきょろと目線を行ったり来たりさせていた。
そう言えば来週は私の誕生日だ。
律儀な兄は、私の誕生日を覚えてくれていて、毎年祝ってくれている。

そんな兄が、まさか私の誕生日プレゼントの事で悩んでいてくれていただなんて!

嬉しさのあまり、私の頬の筋肉が緩んでいくのが判った。
兄はやはりきょろきょろと目線を泳がせながら、続けて言った。

「昨年は大きなテディベアを送りましたが、そろそろも年頃ですし、何にしようかと考えたら…」
「…兄様」

兄は私の呼び声に、すぐに返答してくれた。
それが私には凄く嬉しい事なのに、どうやらこの兄は判っていないようだ。
「はい」と優しく返事をする兄の手を、ぎゅっと握ってやる。

?」
「私、誕生日プレゼントは兄様がいてくれれば、それでいいです」

兄はしばしぽかんと私を見下げていたけれど、私がぎゅっと強く握ると、それに答えてくれて。
繋いだ手と私を交互に見た後、諦めたように、けれど私が好きな笑顔でこう言ってくれた。

「全く。妹離れ出来ない兄になってしまった…」
「私も、兄離れ出来ない妹になってしまいました」

ぎゅっとお互いに手を握り合ったまま、私達はくすくすと小さく笑いあった。
私の心配は杞憂に終わり、兄の考え事もまた杞憂に終わった。
いらぬ事を考えていた二人に、二人して笑いあった。





I Love My Brother!

(その頃、誰がいつ部活を始めるのか聞いてくる役目を押し付けあっていた部員達があった―――)