憎しみロータリー
深夜。彼の寝室に忍び込み、その喉元を狙おうとする時だ。ふと、自分はどうしてこの人を殺そうとしているんだろうと我に返る日がくる。本当に、それは一瞬でやってくるのだ。
そうして、今自分がやろうとしている事に自分が恐ろしくなり、がたがたと手足が震え出すのだ。
それも長い間で、数刻ほど待たないとそれは治ってくれない。否、治る事はない。彼を目の前にするとそれまであった復讐心が揺さぶられ、この手をかける事に戸惑う。
馬鹿な事だ。そんな気持ち、とうの昔に捨てたはずなのに、がたがたと小ぶりのナイフが震えて、彼の喉元から大きくぶれていく。
そうして結局は彼を殺せずにいるのだ。自分のその所為で。
「ああ、君」
「…はい」
「そこの花は?」
彼の専属メイドになってから、彼の私室に頻繁に出入りするようになった。確かに今は私室だが、元は屋敷の書庫だった。普段屋敷の者はあまりその部屋には行く事がなかった為、そのまま彼の部屋となった。それほど、彼はその書庫に入り浸っていたのだった。
の仕事は、その風変わりな主人に伝言を伝える事くらいなもので、実際にそこを入る事はあまりなかった。
今日も今日とて、彼に必要な伝言を伝え、早々にその部屋から立ち去ろうと踵を翻した時だった。彼が珍しくも自分を呼び止めたのは。
彼に偽りの忠誠を誓って何年になるだろうか、未だに彼は自分の名を覚えていなかったらしい。否、彼は覚えようともしないだろう。彼はそういう人物だからだ。
彼が指した花は、今までが彼の部屋で見かけた事がなかったものだった。どうやら先刻食事を伝えたメイドの者が飾ったのであろう。
確かに彼の部屋は殺風景すぎた。元々が書庫だった事もあって、本が圧倒的に多くあり、本棚に入りきらずにあぶれ出た本達がそこらかしこに散りばめられていた。机の上も同様に、本の山がいくつも作られており、少し出来たスペースにレポート用紙とインクが置かれてあるぐらいなものだ。
それに窮屈さを覚えたのであろう、この部屋の雰囲気に合う花が一輪、彼の本の山の一つに活けられていた。
「先刻のメイドが置いていった模様です」
「君ではないのですか?」
「私には、そう言った気配りは出来ません」
彼が好きだと言う白い薔薇だった。恐らく彼女は事前にその事を誰かから聞き、少しでも彼の手助けになればと思い置いたのだろうか。それとも、彼に気に入られたく置いたのだろうか。
どちらにしても、愚かしい事だとは一人心の中で冷笑する。彼はそんなもので心を揺さぶる者ではない事を、は知っていた。
そこではた、と疑問を持つ。
どうして自分はその事を知っているのだろうか。
相手は復讐を決めた家柄の長男だ。成人するや否やすぐにこの家を継ぐ、の仇の者だ。どうしてそんな男の事が判るのだろうか。
長い間仕えていたから? ―――否。
ならば仇だから相手の事を知るのも当然だから? ―――否。
ではどうしてなのだろうか。
「白の薔薇…。そう言えば一人のメイドがやたらと好物を聞いてきたが、これの事だったのか」
「恐らく、彼女ははじめ様の好きなものを置く事によって、少しでもはじめ様の気持ちを和らげようとしたのでしょう」
「ふん」
彼は鼻でそれを笑い退ける。そして「くだらない」とつけて、また机の上の作業に戻った。
くだらないと言っておきながら、それを捨てようとしない彼にはしばし己の目を疑った。
自分の好きなものだからか、さして気にならないものだったのか。あるいは彼女だったから捨てないでいるのか。は判断しがたいものだったが、少なくとも邪険に扱う気はないらしいことはも判った。
途端、ずきんと胸に少しの痛みが走った。
どうして胸が痛むのだろうか。は判らない。
「…お捨てに、ならないのですね…」
無意識にの口から零れ出たそれに、彼はもちろん自身も驚いた。どうして自分はそう言ったのだろうか。それは先程の胸の痛みと関係しているのだろうか。
彼は机から顔をあげ、しかしまた興味をなくしたのか、ふんと鼻を鳴らした。
「それは死んでいるもの。どうせなら腐敗する最後まで飾らせておいてもいいでしょう」
死してなおも美しく存在するのならば、それが醜くなるまでそばに置く。その言い分は全てのものを道具として見ている彼らしいもので、しかし普段の彼とは掛け離れたものだった。
ではそのうち彼がを必要としなくなったらば、いつか捨てられるのだろうか。
また、ずきりと胸が痛んだ。
「まあ尤も、それが少しでも醜くなったら。すぐに処分しなさい」
それだけを言うと、もう話は終わりだと言う風に、また机に向かって作業に没頭した。
は消えるような返事を返した後、見るはずもない礼を彼にしようとドア付近でまた彼と向き合った時だった。「気が向いた、」と彼が口を開いた。
「君にそこの花を差し上げましょう」
「は…、」
「それも見飽きました」
それに、と彼は感情のない声で続けた。
「聞くと君はよく働くとか。そのご褒美ですよ」
本当はそう思ってもないくせに。他人を見下す彼が、褒美をするわけがないのに。どうしてそのような事を言うのだろうか。
今日は一体どうしたのだろうか。
そしてそれを嬉しいと感じる自分も、一体どうしたと言うのだろうか。
きっとこの薔薇の香に当てられたのだろうか。
しかし、次に彼の口から発っせられた言葉は、を確実に壊した。
「死にゆくものの、せめてもの餞です」
その日。復讐者として潜伏したと言うメイドが、姿を消した。
憎しみロータリー
(彼を殺せなかった理由。)(それは自分よりも殺意が強かった事と………)
パロディ大好きです←
イメージとしては中世のヨーロッパ。
観月さんが一応伯爵ぐらいの地位を持ってたらいいなー、と夢を見る。
Witten by Yukino Enka.
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