いつもの待ち合わせ場所でまだ来ぬ彼女を待つ為、手元にある本を広げる。
細かな文字を追おうとした途端、文字が形を崩し、周囲がぼやけてしまった。
数回瞬きをした後にまた文字を見つめる。今度は治ったようだ。きちんと一個一個の文字だった。
最近疲れているのかもしれない。ふぅ、と溜め息を付く。
「はじめ君!」
待ち時間までまだ15分だと言うのに、彼女は僕を見つけて走りよってきた。
僕も手を降り返そうと腕を伸ばした刹那、僕の視界は暗闇に落ちた。
「はじめ君の馬鹿!」
起きて早々にそれはあんまりだと思うが、流石に僕に非があるので黙っていた。
言い訳を言うならば、部活の事に専念しすぎていた為、熱があった事に気付かなかった。
だがもしそれをこのさんの前で言うと、確実に一週間テニス禁止令が付くだろう。
「どうして熱だって言ってくれなかったの!?言ってくれたら私が車で迎えに行くのに」
「…だってさんの車の運転、粗いんですから」
「だ、誰だって車の運転は粗いものなのです!」
「うちの執事もあそこまで粗く出来る者は流石にいないでしょうね」
認めているのか、顔を赤くしてふん、とそっぽを向いた。
元々童顔で幼く見える彼女が、より幼く見えるその仕草はあまり変わっておらず、つい失笑した。
「はじめ君の馬鹿。いいもん。リンゴ持ってきたけどあげないもん」
「おや。それは困りましたね」
「…困ってない顔で言わないでよ。いじめてる私がいじめられてるみたいだから」
「いじめてるんですから当たり前でしょう?」
「む〜」
唸っている時の、眉間に皺を寄せるその仕草は、まんま高校生みたいだ。
それを口にしたらさんの車で世界一のジェットコースターを体験する羽目になる。
しょーがないなぁ、何て言いながら満更でもなさそうなさんが、リンゴを一つ差し出した。
「ん」
「……はい?」
「だから。はい、あーん」
流石にこれはしてやられたり。目を瞬いている僕を、嬉しそうに笑った。
「ほら、早くしないと私が食べちゃうぞ?」
「…分かりました。それには毒が塗ってあるんですね」
「なによぅ!折角お熱で動けないはじめ君の為に差し出してあげたというのに!」
「何が目的ですか?お金ですか?生憎ですが今は手持ちが…」
「もう!ほんとに食べちゃうよ!」
言うや否や、パクっと手に持っていたリンゴを口に放り込んだ。
シャリシャリと歯ごたえのある音が、部屋に響いた。
「ん、おいしい。ほら、毒なんか塗って…」
さんが何かを言いかけていたが、そんなものはどうでもいい。
口の中にあるリンゴを噛む為に薄く開けられた唇に、僕のそれを重ねる。
隙間からするりと舌を潜らせ、さんの舌に乗っていたリンゴの欠片を数個取っていく。
顔を離すと、ぎゅっときつく閉じられたさんの顔が可愛くて、額に軽くキスをした。
「ええ。とてもおいしいですね」
「〜〜〜っ!!」
「んふっ。お顔が真っ赤ですよ?さん」
「だ、誰の所為だと思ってんですか!」
「日本語も変ですよ。第一語学がフランス語だからって日本語を疎かにしないように」
「煩い!!はじめ君の変態!!」
「変態とは心外です。僕はただリンゴを食べただけですよ?」
「ただリンゴを食べるだけなら手にとって食べればいいじゃない!」
「ああ、それもそうですね」
怒りでふるふると震えるさんをからかうのはここまでにしておいた。
これ以上何か言うと、絶対に拳が飛んでくるのが目に浮かぶからだ。
ふぅ、と大きな溜め息を付いて、ベッドサイドへ腰掛けた。
「…何かちょっとその気になっちゃったじゃない」
「風邪うつしてしまいますよ?」
「それではじめ君が元気になるなら…それもいいかな?」
「全く」
ああ、何て可愛い人。
僕達は狭いシングルベッドで、二人抱き合って寝た。
風邪も悪くない
(そして意外と彼女の寝相の悪さも発覚した、その日の夜)
Witten by Yukino Enka.
-Powered by HTML DWARF-