私の声が聞こえたのか、それまでカタカタとキーボードを叩いていた音が急にピタリと止み、奥から「さん?」と聞き覚えのある声が聞こえた。

「随分と早くに来るんですね」
「大抵ならいつもこんな時間に来て準備をしています」
「ああ、だから…」

 いつも来ると準備が終わっているんですね、と優しく言われて、頬が赤くなる。

「ありがとうございます、さん」
「い、いえ…。観月さんはどうしてここに…?」
「今までのデータを整理していたところですよ」

 何分昨日は担任に呼ばれていてここには来れなかったものですから。と彼は言った。
 そうだったんですか、と返事をすれば、やはり優しく微笑んで、「ええ。ですから、本命の相手じゃなくてすみません」と言った。

「…え?」
「今貴方が握っているそれから、凄く甘い匂いがしています」

 特にここは常に無臭剤をまいているので余計にね。
 そこまで言われて、改めてそれをくんくんと匂ってみるものの、匂いすぎていた所為か、感じなかった。
 私の行動がおかしかったのか、観月さんはクスっと笑った。

「随分とおいしそうな匂いですね。もしかして手作りですか?」
「えっと…はい」

 いつの間にか私の前まで来ていた観月さんは、少し前かがみで私と目をあわす。
 顔が赤くなりそうになり、思わず目線を彼から外して小さく「頑張りました」と言えば、さっきの表情とは打って変わって、すっと目が少し細くなり、「そうですか」と低く呟く。
 けれどまたすぐに戻した。

「それだけですか?」
「え、ええ。迷惑かなと思って、これ…だけです」

 そう答えると、また低く「そうですか」と答えた観月さんは、私から静かに離れる。
 ほっとしたのと同時に、淋しく思った。

「…すみません」
「え?」

 本日2度目の謝り。
 普段の観月さんらしくないと不謹慎ながらも思ってしまって、だけど彼の顔がとても悲しそうにしていたから、どきりと胸が鳴った。

「本当は、こんな事言うつもりじゃなかったんです。だけど…気が付けば口にしていた…」
「観月さん…」
「……すみません、さん。貴方を困らせるつもりは…なかったんです」

 そう、彼は淋しく笑った。


―――ああ、もしかしたら……


 もしかしたら、彼はもうここには来ないんだ。今日で、最後なんだ。
 だから今日ここに来るのが早かったのも、整頓される必要のないデータを整理しているのも、もしかしたらやっぱりここが名残惜しいからかもしれない。

「もしかしたら、焦っているのかもしれませんね。この僕とした事が」

 彼が自分の気持ちにも気付かずに焦っているのは、やっぱりそれは―――

「もうじき僕達は卒業する。もうここには…来ない。そして君達とも会えない」
「……やっぱり、あの噂は本当なんですか」

 声が震えているのが自分でも判る。彼は首を傾げた。

「観月さんが…外部受験するって…」
「ああ……あれは―――」
「判ってるんです!観月さんが決めた事だって。私達が…私が言ったって駄目だって」

 裕太が悲痛な顔で、外部受験するかもしれないと話していた時。
 私は足元が掬われる感覚で聞いていたもの。
 そして同時に納得した。最近観月さんが部室に、否部活すらも来てなかったから。
 もう引退したはずの3年生のレギュラー全員は、毎日とは行かないけれども忙しい合間を縫ってまで来てくれて、後輩の指導をしたり、私の仕事を手伝ってくれたりして。
 もちろん観月さんもその中にいたのだけれど、ある日を境に来なくなった。

「でも!でもやっぱり……やっぱり、私達の前からいなくなっちゃうのが、私は……淋しいです」

 だっていつも部室へ行って、あなたの面影を探しているんだもの。

 遠くの窓からあなたの姿をいつも探しているんだもの。

 授業中、教室の窓からグラウンドを走っているあなたを目で追っているんだもの。

 今更、あなたなしでは、無理だよ……。

「……、さん」
「――-……き…です」
「…え…?」





「好きです。観月さん」






 彼は途端に驚愕した。





「め、いわくなのは判って、ます。だけど…だけどもう!もう…私は、抑え切れないから」



「このまま、あなたの影を追い続ける日々は、私にはもう、出来ない…ッ!!」






 ポタリ、と床に私の涙が一滴落ちた。












「―――……好きです」












 顔を上げると、彼が優しく微笑んでいたように見えた。















「…僕も、貴方が…さんが好きです。だから………」
















そのチョコ、ください。
















それはとても甘い甘い

    バレンタインデー







「それにしても、さ…いえ、
「は、はい…?(あぅ…名前で呼ばれるのって恥ずかしい…ッ!)」
「いつ、誰が、外部受験なんてすると言いましたか?」
「え?だ、だって裕太が…」
「…なるほど。裕太君が…ですか」
「え…あ、あの…」
「いいですか、。僕は他校に行こうだなんて考えてもないですからね」
「え…?」
「確かに担任から推薦はされましたが…僕は行く気がない」
「じゃあ…」
「それに。こんなに可愛い恋人を残して行くなんて、とても勿体無い気がするんですよ」

ちゅ

「〜〜〜ッ!!!!(き、きききききき…ッ!!!)」
「んふっ。ねぇ、?」